松江地方裁判所 昭和32年(わ)31号 判決 1967年2月07日
本籍
松江市外中原町一一番地
住居
前同所
会社役員
川瀬太三郎
明治三六年一月一五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官岩竹貢出席のうえ審理を終り、つぎのとおり判決する。
主文
被告人を懲役六月および罰金八〇〇、〇〇〇円に各処する。
右罰金を完納することができないときは、金五、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
ただし、本裁判の確定した日から二年間、右懲役刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、全部、被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は肩書住居において貸金ならびに質屋営業を、出雲市相生町七八九番地において質屋営業をそれぞれ営んでいたものであるが、別表(一)および(二)記載のとおり、昭和二九年中における総所得金額は五、二三六、〇二八円であり、これに対する所得税額は二、六五八、〇九〇円であつたのに拘らず、これを秘匿し、昭和三〇年三月一五日付で、所轄松江税務署長に対し、昭和二九年中の所得金額は一、二九九、四一一円、所得税額は四四五、九五〇円である旨の虚偽過少の確定申告書を提出し、よつて、不正の行為により、同年度の所得税二、二一二、一四〇円を逋脱したものである。
(証拠の標目)
判示全般の事実につき
一、被告人の第五回公判調書中の供述部分(被告人の昭和三三年一一月四日付陳述書および同日付上申書再訂正書引用)および第三二回公判調書中の供述部分(被告人の昭和三八年二月一二日付陳述書引用)
一、被告人の検察官に対する第一、二、三回各供述調書
一、大蔵事務官の被告人に対する第一、二、六、八および九回各質問顛末書
一、第一〇回公判調書中の証人福井久信の供述部分
一、栗原幸子および土屋祥一の検察官に対する各供述調書
一、松江税務署長作成の昭和二九年度分脱税額計算書
一、押収してある被告人の昭和二九年度分確定申告書(昭和三三年領第二九号の二一)
判示事実中
別表(一)の第一の一貸金利息中
(一)備付帳簿面の(1)米原長男につき
一、第一〇回公判調書中の証人米原優の供述部分
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の二)、公正証書第一二、一七八号(同号の八の一)および同第一二、一七七号(同号の八の二)
(一)の(2)青山豊吉ほか一一一名分につき
一、押収してある貸付金台帳二冊(同号の一の一、一の二)
(二)帳簿外の(1)有限会社島根電気工業所につき
一、第二回公判調書中の証人中林定雄および同山根章の各供述部分
一、山根章の検察官に対する供述調書二通
一、山本好延および伊藤正子の検察官に対する各供述調書
一、押収してある公正証書第九、八四一号(同号の二)、現金出納帳六冊(同号の三の三ないし三の八)および入出金伝票(同号の四の一ないし四の一一)
(二)の(2)大栄株式会社につき
一、第七回公判調書中の証人福間逸郎の供述部分
一、押収してある大栄株式会社元帳二冊(同号の五の二、五の三)
(二)の(3)松江運送株式会社につき
一、田村卓一の検察官に対する供述調書
一、押収してある松江運送金銭出納簿四冊(同号の六の一ないし六の四)
(二)の(4)小村清一につき
一、小村清一の検察官に対する供述調書
(二)の(5)松尾文雄につき
一、松尾鹿代の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の松尾文雄に対する質問顛末書
(二)の(6)有限会社石川木材工業につき
一、第八回公判調書中の証人小谷繁信および第九回公判調書中の同石川延夫の各供述部分
一、小谷繁信および石川延夫の検察官に対する各供述調書
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の一)、総勘定元帳二冊(同号の三二、三三の一)および総勘定元帳借入金支払利息口座九枚(同号の三五)
(二)の(7)藤原礼蔵につき
一、藤原礼蔵の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の藤原礼蔵に対する質問顛末書
(二)の(8)寺津熊三郎につき
一、寺津熊三郎の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の寺津熊三郎に対する質問顛末書
(二)の(9)橋本工務店につき
一、大蔵事務官の井戸内正に対する質問顛末書
(二)の(10)岡沢文由につき
一、岡沢文由の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の岡沢文由に対する質問顛末書
(二)の(11)藤田喜満につき
一、藤田喜満の検察官に対する供述調書
(二)の(12)内村武吉につき
一、内村武吉の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の内村武吉に対する質問顛末書
(二)の(13)小村堅造につき
一、小村堅造の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の小村堅造に対する質問顛末書
(二)の(14)吉田建設有限会社につき
一、第九回公判調書中の証人常松豊市、第一二回公判調書中の同吉田羊二郎ならびに同森脇武夫および第一九回公判調書中の同黒田幾四郎の各供述部分
一、松江地方法務局平田出張所作成の土地登記簿謄本
(二)の(15)神竹静一につき
一、神竹静一の検察官に対する供述調書
一、神竹静一作成の大蔵事務官宛上申書
(二)の(16)安東角馬につき
一、安東角馬の検察官に対する供述調書
一、安東角馬作成の大蔵事務官宛昭和三〇年六月二〇日付および同年七月一三日付各上申書
(二)の(17)簸川運輸株式会社につき
一、岡田釣吾、村松邦次および大野金市の検察官に対する各供述調書
一、伊藤敏夫の大蔵事務官に対する上申書
(二)の(18)石橋英一郎につき
一、第一〇回公判調書中の証人米原優および第一三回公判調書中の同石橋英一郎の各供述部分
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の一)および公正証書第一四、〇九八号(同号の八の三)
(二)の(19)有限会社岩井商店につき
一、坂本国朝の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の坂本国朝に対する質問顛末書
(二)の(20)坂本本左衛門につき
一、坂本本左衛門の検察官に対する供述調書
一、押収してある公正証書第一三、七四八号(同号の一〇)および同第一三、八八六号(同号の一一)
(二)の(21)玉木貫平につき
一、玉木貫平の検察官に対する供述調書
(二)の(22)吾郷権左ヱ門につき
一、第一四回公判調書中の証人吾郷権左ヱ門の供述部分
一、吾郷権左ヱ門の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の吾郷権左ヱ門に対する質問顛末書
(二)の(23)ないし(27)につき
一、被告人作成の広島国税局宛昭和三〇年六月三日付上申書
(二)の(23)吉岡来三につき
一、大蔵事務官の吉岡時子に対する質問顛末書
(二)の(24)ないし(27)につき
一、押収してある合銀末次支店預金台帳(同号の七)
(二)の(24)酒井豊につき
一、押収してある合銀末次支店伝票(同号の一三)
(二)の(25)原真一につき
一、押収してある同支店伝票(同号の一四)
(二)の(26)高橋豊子につき
一、押収してある同支店伝票(同号の一五)
(二)の(27)梶谷昌訓につき
一、押収してある同支店伝票(同号の一六)
別表(一)の第一の二質貸付利息につき
一、押収してある金銭出納簿二冊(同号の一七、一八)
別表(一)の第一の三流質処分益につき
一、押収してある流質物台帳(同号の一九)および質物台帳(同号の二〇)
別表(一)の第一の五配当収入につき
一、押収してある配当金支払調書(同号の二二、二三)
別表(一)の第二の一支払利息中
(一) 帳簿記載につき
一、押収してある経費台帳(同号の二六)
(二) 銀行支払につき
一、押収してある銀行取引証明書二通(同号の二四、二五)
(三) 岩崎正男につき
一、岩崎正男の検察官に対する供述調書
別表(一)の第二の二流質処分損につき
一、押収してある流質物台帳(同号の一九)
別表(一)の第二の三公租公課につき
一、押収してある経費台帳(同号の二六)
一、押収してある納税証明書(同号の二七)
別表(一)の第二の四減価償却につき
一、収税官吏作成の犯則概要書添付の収支計算明細表(第一一表)
別表(一)の第二の五貸倒金中
(1) 有限会社石川木材工業につき
一、第八回ならびに第一一回公判調書中の証人小谷繁信、第九回公判調書中の同石川延夫および第一六回公判調書中の同小沢道正の各供述部分
一、小谷繁信および石川延夫の検察官に対する各供述調書
一、押収してある振替伝票綴(同号の三四の六)および約束手形綴(同号の三六)
(2) 水戸五人男につき
一、第二一回公判調書中の証人小川ための供述部分
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の二)
(3) 岩佐一につき
一、第二二回公判調書中の証人岩佐一の供述部分
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の一)
(4) 長尾良一につき
一、第三九回公判調書中の被告人の供述部分
一、第二二回公判調書中の証人出口静および第二八回公判調書中の同山田元一の各供述部分
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の二)
(5) 上原忠男につき
一、第三九回公判調書中の被告人の供述部分
一、押収してある貸付金台帳(同号の一の一)
(6) 丸善商会ほか八名につき
一、押収してある貸付金台帳二冊(同号の一の一、一の二)
別表(一)の第二の六雑損につき
一、押収してある昭和二八年分所得税更正決議書関係書類(同号の二八)および貸付金台帳二冊(同号の一の一、一の二)
別表(一)の第二の七傭人費につき
一、黒田幾四郎の検察官に対する供述調書
一、押収してある経費台帳(同号の二六)
別表(一)の第二の八その他の営業経費につき
一、押収してある経費台帳(同号の二六)
(訴訟関係人の主張に対する判断)
第一、貸金利息中
(一) 米原長男について
被告人および弁護人(以下、被告人らと略記することがある)は、本件において、帳簿面の収入利息として計上されている米原長男関係の八九〇、〇〇〇円につき、昭和二九年中の同人からの利息収入は、昭和三三年領第二九号の一の一貸付金台帳に特別貸出の部として記載されている五〇五、〇〇〇円が正しい金額であり、同号の二貸付金台帳の米原長男欄に記載された八九〇、〇〇〇円は正確な額ではなく、同台帳に八九〇、〇〇〇円の利息収入があつたように記載されているのは、米原長男が自殺したことから、昭和三〇年三月に同じ金融業者の実重俊夫に対する広島国税局の査察が始まつたため、被告人も査察を受けることが予想され、その場合に備え、米原長男の利息収入を実際より多く記載しておけば、査察官に対して好印象を与えるであろうと考え、右米原より、本件元金とは別口の一時貸分の返済金があつたのを、本件利息収入があつたように同台帳に書き入れたものである、と主張する。公正証書二通(同号の八の一、八の二)および大蔵事務官の被告人に対する第八回質問顛末書によれば、本件元金は昭和二九年三月二六日ごろ貸付の一、〇〇〇、〇〇〇円二口で合計二、〇〇〇、〇〇〇円、利率は月八分であるが、同号の一の二の貸付金台帳(五三、五四丁)記載の米原長男欄をみると、毎月の利息収入状況は右利率による収入額にほぼ一致していることが認められる(もつとも、第二九回公判調書中の石橋勉の証言によると、同人が米原長男の使いとして被告人方に利息を持参したときは、大体半月分位の利子しかもつていっていないと述べているが、右石橋勉の供述は、大蔵事務官の同人に対する質問顛末書に対比してにわかに信用できない)。これに、前記被告人の第八回質問顛末書中の「米原長男に対する貸付金二、〇〇〇、〇〇〇円の利子は月八分で月一六〇、〇〇〇円となり、昭和二九年中に一、四四〇、〇〇〇円となるのですが、多少まけてあげた利子がある筈であります。証二号貸付金台帳には八九〇、〇〇〇円計上いたしていますが、計上洩れもあるかと思います。」との供述部分を合わせ考えると、少くとも、前記貸付金台帳(同号の一の二)記載の八九〇、〇〇〇円の利息収入があつたことが認められる。被告人ら主張のように、米原長男に対する別口の一時貸の貸付金があつたかどうかは、米原優の第一〇回公判調書中の証言に照らし、定かではなく、たとえあつたとしても、前記貸付金台帳(同号の一の二)の毎月の入金額が利率相当の一定額である点からして、右一時貸の返済金を、利息収入分として同台帳に書き入れたものとは解されない。また、被告人らの根拠とする同号の一の一の貸付金台帳の米原長男欄記載の金額は、前記被告人の第八回質問顛末書の供述内容からしても、にわかに信用できない。その他、本件証拠中前記認定に反する部分はいずれも信用しない。
(二) 有限会社島根電気工業所について
被告人および弁護人は、本件において、有限会社島根電気工業所よりの利息収入が一、七二八、〇〇〇円と計上されているのに対し、昭和二六年貸付元本残四〇〇、〇〇〇円および昭和二八年一一月二五日貸付元本一、一〇〇〇〇〇円に対する昭和二九年中の各利息収入が合計一、二六八、〇〇〇円であることは認めるが、昭和二八年三月二六日貸付元本五〇〇、〇〇〇円は、昭和二九年三月末に返済を受けたので、右元本の利息収入(利率月八分)は同年二、三月分の八〇、〇〇〇円にすぎず(同年一月分は前年に受領)、したがつて、同会社よりの利息収入は合計一、三四八、〇〇〇円にとどまると主張する。そこで、同会社の現金出納帳(同号の三の三ないし三の八)をみると、昭和二八年三月二六日被告人より借入の右五〇〇、〇〇〇円の元本については、昭和二八年中は、毎月二〇日ごろに、月利息相当の各四〇、〇〇〇円が「川瀬払」「川瀬金融店利息」などの項目で支払われたように記載されており、昭和二九年においては、同年一月より一二月まで、同じく毎月二〇日ごろ、各四〇、〇〇〇円が<川>、<ト>、
(三) 大栄株式会社について
被告人および弁護人は、本件において、大栄株式会社よりの利息収入が一六〇、八五〇円と計上されているのに対し、右利息収入は一〇〇、五〇〇円にすぎないと主張するが、大栄株式会社元帳(同号の五の二、五の三)によると、同会社は昭和二九年中において、三月一六日ごろより一〇月二二日ごろに至る間に「川瀬」宛名義で合計一六〇、八五〇円の利息を支払つた旨記載されており、右記載については、その記載の態様および福間逸郎の第七回公判調書中の証言により間違いのないものであることが認められる。被告人は別に数字をあげて右金額を争うが、被告人のいう数額の根拠については、被告人の第三九回公判調書中の供述以外に証拠となるべきものがなく、直ちに信用することができない。結局、同会社よりの利息収入は一六〇、八五〇円とみるのが相当である。
(四) 有限会社石川木材工業について
被告人および弁護人は、本件において、有限会社石川木材工業よりの簿外収入利息が一八八、八五〇円であるとされているのに対し、同会社よりの利息収入は貸付金台帳(同号の一の一)記帳の二四五、三〇〇円のみで、簿外収入はない旨主張する。小谷繁信の第八回公判調書中の証言および石川延夫の検察官に対する供述調書によれば、同会社と被告人との間の取引に際し、被告人が多くの場合高橋ナツ名義を使用し、その場合は同会社の帳簿上も高橋ナツ名義で記帳していたことが認められるところ、同会社の総勘定元帳(同号の三三の一、三五)の支払利息口座欄についてみると、昭和二九年一月一三日より同年七月一〇日に至る間、同会社より「高橋ナツ」および「川瀬太三郎」(または「川セ太三郎」)名義宛の利息支払の回数が二五回、合計金額四三四、一五〇円あり、そのうち「川瀬太三郎」(または「川セ太三郎」)名義宛の支払は一五回で、これを、被告人の貸付金台帳(同号の一の一)記載の右石川木材よりの利息収入(手形割引料)欄と照合してみると、右各一五回とも日付において完全に一致し、金額においてもほぼ一致していることが認められる(金額については、五月二六日分同会社記帳一一、六〇〇円、被告人記帳一一、〇〇〇円、六月五日分同会社記帳一七、五〇〇円、被告人記帳一七、〇〇〇円の点のみ差異がある)。右事実に、前記同会社元帳の記帳の態様および石川延夫の検察官に対する供述調書(同会社の総勘定元帳借入金支払利息口座九枚(同号の三五)は、税務署員が昭和二八年度総勘定元帳から抜き出してもつていつていたものであると認められる)を綜合して考えれば、同会社の被告人に対する利息支払に関する右元帳の記載は、前記「高橋ナツ」名義の部分も含めて信用できるものであることが認められる。したがつて、被告人の右石川木材よりの帳簿外収入利息は、同会社帳簿面合計四三四、一五〇円より被告人の帳簿記載分二四五、三〇〇円を差引いた一八八、八五〇円となることが認められる。本件証拠中右認定に反する部分は信用できない。
(五) 吉田建設有限会社について
吉田建設有限会社(社長常松豊市)からの利息収入につき検察官は二四〇、〇〇〇円であると主張し、被告人および弁護人は一二四、〇〇〇円にすぎないと主張する。常松豊市の検察官に対する供述調書によれば、同人は、昭和二八年一一月被告人より借入れた三〇〇、〇〇〇円の元金につき昭和二九年一月分より五月分までは、月利率八分で毎月二四、〇〇〇円合計一二四、〇〇〇円を支払つた旨述べているが、しかし、右常松の第九回公判調書中の証言によると、右供述は正確ではなく、右は同年五月までは利息の支払をしたという意味であつて、利息の支払額ははつきり覚えていないと述べており、検察官主張のように同年五月までの支払利息額が一二四、〇〇〇円であつたかは定かではない。もつとも、昭和二九年一月分の利息二四、〇〇〇円が支払われたことは被告人も認めており、また、被告人の被傭人であつた黒田幾四郎の第一九回公判調書中の証言によると、右黒田は、常松豊市から右元金三〇〇、〇〇〇円の月利息を一回か二回は正確に受けとり、その後は三、〇〇〇円とか五、〇〇〇円位宛もらつたことがあると述べており、右の点からすると、被告人の同年五月までの利息収入は、一月分二四、〇〇〇円、二月ないし五月は少くとも月三、〇〇〇円として合計三六、〇〇〇円を下らないことが認められる。つぎに、同年一一月初めごろ、右吉田建設と被告人との間において、前記三〇〇、〇〇〇円の元金およびその利息金について清算支払が行われた際、被告人が受領した金額について、被告人らは、右は元利合計四〇〇、〇〇〇円であつて、利息相当分は一〇〇、〇〇〇円であつたと主張し、前記常松豊市の証言および同人の検察官に対する供述調書は被告人らの右主張に副うものであるが、しかし、森脇武夫ならびに吉田羊二郎の第一二回公判調書中の各証言および松江地方法務局平田出張所作成の土地登記簿謄本によると、右常松は、同年一一月初めごろ、被告人への返済金のため、吉田羊二郎を介し、自己の土地に抵当権を設定して、森脇武夫より四二〇、〇〇〇円を借入れ、吉田羊二郎がその四二〇、〇〇〇円を被告人に手交したことが認められ、したがつて、常松豊市の前記供述はにわかに信用できず、当時、被告人が右吉田建設より受領した元利金は四二〇、〇〇〇円で、うち利息金は一二〇、〇〇〇円であつたことが認められる。弁護人は、右四二〇、〇〇〇円のうち二〇、〇〇〇円は抵当権設定の登記費用に充当されたものであると主張するが、吉田羊二郎の前記証言によれば、登記費用は右四二〇、〇〇〇円のほかに森脇武夫が出したということであつて、弁護人の右主張は採用できない。以上のとおり、右吉田建設からの利息収入は、昭和二九年五月までの三六、〇〇〇円および同年一一月初めの一二〇、〇〇〇円、合計一五六、〇〇〇円、であると認定する。
(六) 石橋英一郎について
被告人および弁護人は、本件において、石橋英一郎よりの帳簿外利息収入が三〇五、一〇〇円と計上されているのに対し、右帳簿外収入としては、昭和二九年中に三〇、〇〇〇円宛二回計六〇、〇〇〇円を受領したにすぎず、昭和二九年一二月二日ごろ、石橋英一郎に対する貸付元本二、五〇〇、〇〇〇円を三、〇〇〇、〇〇〇円に貸増しした際、右三、〇〇〇、〇〇〇円につき、銀行利子並みということで二一、〇〇〇円の利息を受領したが、右利息二一、〇〇〇円は貸付金台帳(同号の一の一、九八丁)に記帳済みであると主張する。米原優の第一〇回公判調書中の証言によると、同人は、同人の父米原長男が前記石橋英一郎の三、〇〇〇、〇〇〇円の借入の保証をしていた関係で、昭和三〇年二月ごろ、その保証債務の整理に当つたが、その際、石橋英一郎に調査させたり、自分も被告人宅に赴いて調べた結果、石橋英一郎が、昭和二九年一二月二日ごろ、被告人より前記三、〇〇〇、〇〇〇円を借増しするに当り、それまでの元本二、五〇〇、〇〇〇円の未払利息一九六、一〇〇円、新たに借受ける元本三、〇〇〇、〇〇〇円の前払利息二一〇、〇〇〇円および抵当権設定登記費用等三〇、〇〇〇円計四三六、一〇〇円を右二、五〇〇、〇〇〇円に附加して三、〇〇〇、〇〇〇円の元本としたとのことであり、これに大蔵事務官の被告人に対する第八回質問顛末書中における「石橋さんの方は業況もよくないようですし、それに他からも多額の借入金がある様子もききましたので、早急に回収せねばと考え、昭和二九年一二月二日に、昭和二九年一一月一〇日ごろから同年一二月一日までの未収利息、それに昭和二九年一二月二日に三、〇〇〇、〇〇〇円の公正証書を作つたのですが、この元金に対する一カ月の前取り利息、それに諸費用等計約四三〇、〇〇〇円ほどを貸付金二、五〇〇、〇〇〇円にくみ入れて三、〇〇〇、〇〇〇円の公正証書を作りました。」という被告人の供述を合わせ考えると、前記米原優のあげた数額はほぼ信用できるものであり、被告人が前記の元本三、〇〇〇、〇〇〇円に貸増しした際、検察官主張のように、少くとも三二六、一〇〇円の利息収入があつたことが認められる。被告人は、第三八回公判調書中において、前記貸増しをしたのは、米原(石橋の誤りと解する)が自分の娘の嫁入り費用に五〇〇、〇〇〇円貸してくれというので、五〇〇、〇〇〇円貸して合計三、〇〇〇、〇〇〇円としたものであると供述し、石橋勉の第二九回公判調書中の証言にもこれに相応する部分があるが、石橋勉の右証言は、大蔵事務官の同人に対する質問顛末書に照らし措信できず、被告人の右供述も、前記米原優の証言ならびに被告人の第八回質問顛末書および石橋英一郎の第一三回公判調書中の証言に対比し、到底信用することができない。以上により石橋英一郎関係の簿外利息収入は、前記貸増しの際の三二六、一〇〇円から貸付金台帳(同号の一の一)記帳分二一、〇〇〇円を差引いた三〇五、一〇〇円と認定する。本件証拠中右認定に反する部分は信用しない。
(七) 吾郷権左ヱ門について
被告人および弁護人は、本件において、利息収入として三六、〇〇〇円が計上されているのに対し、昭和二九年四月ごろ、吾郷権左ヱ門が被告人に対し二〇〇、〇〇〇円の手形割引を求めてきたので一二、〇〇〇円の割引料で右手形を割引いてやつたが、それ以外には利息を受けとつたことはないと主張する。右吾郷の第一四回公判調書中の証言、同人の検察官に対する供述調書および大蔵事務官の同人に対する質問顛末書によれば、昭和二九年六月ごろ、前記二〇〇、〇〇〇円の手形が不渡りとなつたため、右吾郷と被告人との間で、右二〇〇、〇〇〇円を借入金の形とし、吾郷は、前記手形割引の際の一二、〇〇〇円のほかに、月六分の利率で、二カ月分の利息として二四、〇〇〇円を支払つていることが認められる。被告人らは貸付金台帳(同号の一の一、八七丁)に記帳されているように、被告人には、本件とは別に、右吾郷権左ヱ門の子の巌名義で貸付けた五〇、〇〇〇円の元本があつたところ、それに対する利息収入が二四、〇〇〇円あり、本件二四、〇〇〇円の利息は右別口元本五〇、〇〇〇円の利息と混同したものであるというが、しかし、右貸付金台帳の記載をみると、右別口元本の利息は、同年五月五日の貸付時以降同年一二月まで前後五回にわたり(貸付時を除く)、金額も各回五、〇〇〇円以下で、うち四回は元本への内入分と一緒になされており、右のような利息支払の態様からみて、本件二〇〇、〇〇〇円口の利息支払と混同されるようなものではない。結局、吾郷権左ヱ門の関係の利息収入は、前記手形割引当初の一二、〇〇〇円にその後の二カ月分の利息二四、〇〇〇円を加算した三六、〇〇〇円であると認める。
第二、支払利息について
被告人および弁護人は、支払利息について、本件計上分以外にも、被告人は、泉東吉から数百万円の資金を借り受け、これに対し、月三分の利率で昭和二九年中に一、三〇〇、〇〇〇円の利息を支払つていると主張するので、右主張について判断する。被告人が、昭和三〇年六月における広島国税局の査察当初から、個人借入として昭和二九年中に四、五〇〇、〇〇〇円程度の借入金があつた旨供述していることは事実であり(大蔵事務官の被告人に対する第二回質問顛末書(昭和三〇年六月三日付)および被告人の検察官に対する第三回供述調書(昭和三二年六月二四日付))、また、松江相互銀行出雲支店長作成の昭和三三年二月一三日付証明書、第一八回公判調書中の西村国次郎ならびに第一九回公判調書中の高木茂の各証言および被告人の第三八回公判調書中の供述によると、被告人が、昭和二九年中において、四、五〇〇、〇〇〇円程度の個人借入をしていたことはある程度推認できないでもないが、しかし、被告人は、右四、五〇〇、〇〇〇円の個人借入が泉東吉からなされたものであることについては、右泉東吉の死後に、前記検察官に対する第三回供述調書においてはじめて明らかにしたもので、それ以前は借入先の名前を秘しており、さらに、第二七回公判調書中の泉彬の証言によると、同人は昭和二八年四月泉東吉の養子となり、同年一二月から右東吉の事業にも関係していたが、事業面で他人に四、五〇〇、〇〇〇円もの金員を融通する程の余裕はなかつたとのことであり、右の点からすると、被告人が泉東吉から四、五〇〇、〇〇〇円の借入を受けていたとの主張は、にわかに措信できないものがある。しかも、たとえ泉東吉より右金額程度の借入金があつたとしても、月三分の割合の利息支払という点については、大蔵事務官の被告人に対する第一〇回質問顛末書(昭和三〇年八月一〇日付)および前記被告人の検察官に対する第三回供述調書等において、被告人がその旨述べているものの、前記大蔵事務官の被告人に対する第二回質問顛末書のほか同第九回質問顛末書(昭和三〇年六月一九日付)においては、被告人は、右四、五〇〇、〇〇〇円の個人借入についてはその当時まで全く利息の支払をしておらず、いずれ日を改めて謝礼しようと思つている旨述べており、右のように、国税局による本件査察当初において、被告人に有利な利息支払の事実を否定していたこと、右一、三〇〇、〇〇〇円の利息支払については、被告人の供述以外によるべき証拠は何もなく、その支払時期、支払回数、金額等についても全く不明であり、また、前記泉彬の証言からしても、泉東吉が被告人より昭和二九年中に一、三〇〇、〇〇〇円の収入を得ていたとは到底解されず、以上の諸事情を綜合して考えると、結局、被告人らの泉東吉に対する利息支払の主張は理由がないことに帰し、採用できない。
第三、貸倒金について
検察官は、本件における貸倒金は、別表(一)の第二の五の(6)に掲げた丸善商会ほか八名にかかる合計四五〇、二〇〇円にすぎないと主張し、被告人および弁護人は、右のほかに、勝部幸一ほか一四名につき合計二、一〇四、〇〇〇円の貸倒金があつたと主張する。そこで、まず、貸倒金の認定基準について考えると、債務者の支払能力、信用、それに対応して債権者の採用した取立の手段、方法等からして、当該年度内において、債権の回収が著しく困難な事情が客観的にうかがえる必要があり、したがつて、たとえば、強制執行その他の取立手段をつくしたうえで債権の回収の見込が立たない場合、債務者の破産、行方不明および刑の執行等の事情により債権の回収が著しく困難となつた場合、または回収が困難のために債権の放棄をした場合などにおいて、これら債権の貸倒れがあつたとみるのが相当である。当裁判所は、以上のような見地から、別表(一)の第二の五の(1)ないし(6)に掲げたごとく、合計六六〇、二〇〇円の貸倒金を認定したものであるが、以下、両当事者間に争いのない丸善商会ほか八名に関する部分を除き、被告人らの主張の順序に従い、逐次説明を加えることとする。
(一) 勝部幸一について
被告人および弁護人は、昭和二九年において、勝部幸一に対し七四〇、〇〇〇円の未回収貸付金があつたところ、右勝部の事業失敗により、右貸付金の回収見込がなくなり、また、取立不能のため、昭和二九年のお盆ごろ、勝部に対し暗に債権放棄の意思表示をしたから、右七四〇、〇〇〇円は同年末において貸倒金となつたと主張する。
山陰合同銀行北堀支店ならびに同銀行末次支店(三通)の各昭和三五年一月七日付証明書および勝部幸一の第一五回公判調書中の証言によれば、被告人ら主張のごとく、右勝部に対し、昭和二九年において、七四〇、〇〇〇円程度の未回収貸付金があつたことが認められ(勝部幸一の検察官に対する供述調書中、右の認定に反する部分は前記同人の証言に照らし信用できない)。また、勝部幸一の右証言によれば、同人は、昭和二九年において、経営する事業の不振のため相当の負債があり、同人所有の山林については銀行から差押を受けていたこと、同年一月ごろ、前記七四〇、〇〇〇円の被告人からの借入金につき、同額の約束手形を振出して同年中に分割払いとすることとしながら、右手形金は期日までに支払えなかつたことが認められるが、しかし、反面、同じ証拠によると、同人は、昭和二一年より昭和二六年ごろまで県会議員をしていたことがあり、同人の経営する事業は昭和二九年末までつづけ、昭和三〇年四、五月ごろになつて残務整理をしていること、当時、勝部の次男と被告人の長女とは婚約中の間柄にあり、昭和三〇年三月には挙式の予定であつたこと、昭和二九年のお盆ごろ、右勝部が、被告人に対し、前記約束手形の書替の話をした際、被告人から、「二九年中に商売をやめるから元金だけでも返えしてくれ。」といわれ、これに対し勝部は、「どうでも払います。」と答えていること、被告人が勝部に対し、正式の債権放棄の通知をしたのは昭和三〇年七月ごろであつたことなどが認められ、右の事実を綜合して考えれば、昭和二九年中において、被告人の右勝部に対する前記貸付金の回収が著しく困難な状況にあつたとはにわかに解されず、また、同年中において、被告人が勝部に対し、暗示的にもせよ債権放棄の意思表示をした事実も認めることができない。結局、被告人らの右貸倒金の主張は理由がなく採用できない。
(二) 子宝靴販売株式会社について
被告人および弁護人は、子宝靴販売株式会社との関係で、昭和二九年中に二〇〇、〇〇〇円の未回収貸付金があつたが、同会社は同年二月ごろ倒産し、右債務の保証人らも負債が多く、回収見込がなかつたのであるから、右二〇〇、〇〇〇円は昭和二九年の貸倒金として計上すべきであると主張する。貸付金台帳(同号の一の二、四三丁)および森脇市太郎の第一六回公判調書中の証言によれば、昭和二八年に、被告人が子宝靴販売株式会社(代表取締役森脇市太郎)に貸し付けた二〇〇、〇〇〇円が、昭和二九年において未回収となつていたこと、同会社は昭和二九年一月ごろから事実上休業状態となり、同会社および森脇市太郎はともに当時相当の負債があつたことが認められるが、反面、同じ証拠および犬山文二の第二九回公判調書中の証言によれば、同会社は、その後、東京の本社の直営として事業を継続しており、また、前記休業後も、森脇市太郎が昭和二九年七月一四日、八月一三日、一〇月三一日と前記貸金の利息を支払つていること、右貸金には犬山文二ほか二名の保証人がついており、右犬山に対しては、同年中に、被告人より書面等で数度返済請求がなされているが、他の保証人に対しては請求があつたとはみられないこと、被告人は、昭和三〇年一二月ごろになつて、右森脇市太郎に対し右二〇〇、〇〇〇円の債権放棄の通知をしていること等の事実がうかがわれ、右事実からすれば、右貸付金が昭和二九年度において貸倒れとなつたとは到底解することができず、したがつて、右に関する被告人らの主張は採用しない。
(三) 第一漁業生産組合について
被告人および弁護人は、第一漁業生産組合との関係で、昭和二九年中に一一〇、〇〇〇円の未回収貸付金があつたが、同組合は同年一〇月ごろ解散し、代表者森脇市太郎および保証人には多額の負債があり、回収の見込がなかつたため、右一一〇、〇〇〇円は同年末において貸倒れとなつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、三六丁)および森脇市太郎の第一六回公判調書中の証言によれば、昭和二九年中において、前記組合に対し、一一〇、〇〇〇円の未回収貸付金があつたこと、右組合は同年一〇月ごろ休業状態となり、代表者森脇市太郎には当時多額の負債があつたこと、また、井上永治の第二八回公判調書中の証言によれば、右債務の保証人井上永治にも相当の負債があつたことなどが認められる。しかし、前記の同じ証拠によると、昭和二九年中において、右組合から、三月三一日、四月一四日、八月一三日および一〇月三一日にそれぞれ本件貸付金に対する利息の支払がなされており、右債務の保証人としては、前記井上永治ほか二名があつたが、井上永治に対してのみ返済請求があつたとみられること、同年一〇月ごろ、森脇市太郎が被告人に対し元金の支払猶予を求めたが、被告人から確答が得られず、昭和三〇年一二月ごろに、被告人より右債権放棄の通知がなされていることなどが認められ、右の事実からすると、右貸付金が昭和二九年内において貸倒れとなつたとはみることができず、したがつて右に関する被告人らの主張は採用できない。
(四) 荒木登喜夫について
被告人および弁護人は、昭和二九年一二月ごろ、元本合計二一〇、〇〇〇円を荒木登喜夫に貸付けたが、右荒木には資力なく、右債務には長崎多賀夫らが連帯保証をしていたものの、右保証は荒木の文書偽造等により行われたもので、右長崎らには保証の責任がなく、したがつて、右二一〇、〇〇〇円は同年末において貸倒れとなつたと主張する。被告人の第三八回公判調書中の供述および長崎多賀夫の第一八回公判調書中の証言によれば、被告人が、荒木登喜夫に対し、昭和二九年一二月ごろ、合計二一〇、〇〇〇円の貸付けをしたこと、右貸付に当り、右荒木の実兄長崎多賀夫らが連帯保証をしているが、右保証は荒木の文書偽造等によつてなされたものであることが認められるが、しかし、前記のように、本件貸付は同年一二月ごろなされたものであり、さらに、長崎多賀夫の前記証言によると、昭和三〇年末ごろに、被告人より長崎の給料債権について差押えがあり、その際、長崎は、はじめて本件債務につき自分が連帯保証人となつていることに気づいたこと、荒木は、被告人に対し、本件二一〇、〇〇〇円のほかにも、昭和三〇年になつて別口の債務を負担しており、両者の債務を合わせて四五〇、〇〇〇円位の債務につき、右長崎は、前記差押を受けたころ、被告人と交渉してこれを一〇〇、〇〇〇円に減額してもらい、右一〇〇、〇〇〇円を昭和三一年中に支払つたことが認められ、以上の事実からすると、本件貸付金が昭和二九年内において貸倒れとなつたとは到底解することができない。本件証拠中右認定に反する部分は信用できない。
(五) 有限会社石川木材工業について
被告人および弁護人は、昭和二九年七月二二日に、有限会社石川木材工業が、銀行よりの借入金で各方面の債務を整理した際、被告人は、同会社に対し合計八一〇、〇〇〇円の約束手形による債権を有していたが、そのうち五〇、〇〇〇円は利息分であつたので、差引元本七六〇、〇〇〇円からさらに一一〇、〇〇〇円を減縮して六五〇、〇〇〇円の支払を受け、完済としたから、右一一〇、〇〇〇円の減縮分を同年度の貸倒金とみるべきであると主張し、検察官は、前記貸付金整理の際、右石川木材より被告人に対し、一、〇七〇、〇〇〇円の支払がなされた事実があり、また、昭和三〇年になつても、石川木材は延滞利息を支払つているから、昭和二九年中に債務減額すなわち債権放棄があつたとは認められないと主張する。そこで、第八回ならびに第一一回公判調書中の小谷繁信、第一六回公判調書中の小沢道正の各証言、石川延夫の検察官に対する供述調書、前記石川木材の振替伝票綴(同号の三四の六)および約束手形綴(同号の三六)を綜合して考察すれば、昭和二九年七月二二日当時、石川木材は各方面に負債があつたが、山陰合同銀行朝日町支店の助力で同会社の再建をはかることになり、同会社の各債権者に対し債権の減縮を条件にして同銀行が右債務を肩代りすることになつたこと、被告人は同会社に対し、約束手形で合計八一〇、〇〇〇円の債権を有していたが、同銀行の肩代りによる支払の申入れに応じ、同銀行員である小沢道正を通じ、石川木材より六五〇、〇〇〇円の支払を受け、右債務は完済としたこと、その際、被告人より石川木材に対し、五〇、〇〇〇円の債務減額がなされたことが認められる(昭和二九年七月二二日付前記振替伝票(同号の三四の六、七三丁)によれば、石川木材の被告人に対する元本合計は七〇〇、〇〇〇円で、同日の被告人への支払は六五〇、〇〇〇円、債務減額が五〇、〇〇〇円となつている。被告人らは、右八一〇、〇〇〇円の債権中、利息分が五〇、〇〇〇円あつたので、差引七六〇、〇〇〇円の元本につき、一一〇、〇〇〇円を減縮したというが、右主張を裏づける証拠としては被告人の供述以外にこれを認むべきものはなく、右供述も前記証拠に照らし信用できない。)。なお、前記振替伝票綴中には、右七三丁記載の七〇〇、〇〇〇円の債務のほかに、同日付で、被告人に対し計三七〇、〇〇〇円の債務を弁済したように記載した丁があり、右によれば、検察官主張のように、本伴債務を六五〇、〇〇〇円に減縮して支払つたかどうか明らかでないと解しえないでもないが、前記小谷繁信の第一一回公判調書中の証言によると、石川木材の被告人に対する債務の関係では、前記振替伝票七三丁のみが正確なものであることがうかがわれ、これに小沢道正の前記証言を合わせ考えると検察官の右主張は採用することができない。また、検察官は、石川木材は、昭和三〇年になつても、被告人に対し一二〇、〇〇〇円ないし一三〇、〇〇〇円の延滞利息を支払つていたと主張し、石川延夫の検察官に対する供述調書中にはこれを裏づける部分があるが、同人の第九回公判調書中の証言によると、右金員は、昭和三〇年において被告人から新に借入れたものを返済したものであることが認められ、この点に関する検察官の主張も採用できない。以上のような事情を綜合し、石川木材の関係では、前記債務減縮分五〇、〇〇〇円を、債権放棄がなされたものとみて、貸倒金と認定する。
(六) 有限会社松江建設について
被告人および弁護人は、有限会社松江建設に対し、昭和二八年一二月一六日に元本一〇〇、〇〇〇円を貸付けたが、同会社は昭和二九年七、八月ごろ倒産し、同会社代表取締役福田正は詐欺罪により刑の執行を受け、右債務の連帯保証人である渡部敏男らには同年八月ごろ動産の差押手続をとつたところ、同人らには、みるべき資産がなく、同年一〇月二〇日、右福田正の親族からの要請で、五〇、〇〇〇円の受領を条件に(うち一〇、〇〇〇円は利息に充当)元利金は棒引きすることとし、残元本六〇、〇〇〇円を免除したので、右六〇、〇〇〇円は同年の貸倒金となつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、五〇丁)および渡部敏男の第二二回公判調書中の証言によると、被告人らの右主張を裏づける部分もないではないが、右渡部敏男の証言を同人の検察官に対する供述調書と対比して考えると、同人が被告人から差押を受けたのは、前記会社の倒産した昭和二九年八月より相当後のことであつて、それも残元本六〇、〇〇〇円について差押を受けたものであることが認められ、したがつて、差押の時期は、同人が検察官に対する供述調書で述べているように、昭和三〇年春ごろと解され、これに、被告人が右渡部敏男に対して債権放棄の通知をしたのは昭和三〇年七月ごろであつたことを考え合わせると、被告人は、昭和二九年内において、松江建設に対する右六〇、〇〇〇円の債権をなお保有していたとみるのが妥当であり、したがつて、被告人らの右貸倒れの主張は理由がなく採用できない。
(七) 松本正明について
被告人および弁護人は、松本正明に対し、昭和二九年七月二八日元本一〇〇、〇〇〇円を、右松本所有の宅地および建物に抵当権を設定して貸付けたが、同年中に一部利息の支払があつたのみで、右抵当物件も当時の時価は五〇〇、〇〇〇円程度なのに先順位の債権額が約六五〇、〇〇〇円あり、抵当権を実行しても回収見込がなかつたのであるから、右貸付金一〇〇、〇〇〇円は同年末において貸倒金となつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、五八丁)、松本好野の第三六回公判調書中の証言および被告人の第三九回公判調書中の供述によると、本件抵当権設定当時における抵当物件の価額および貸付元本の回収見込の点を除き、被告人ら主張の事実を認めることができるが、右松本好野の証言によると、右抵当権設定当時、本件土地建物を一、五〇〇、〇〇〇円で売つてほしい旨の話もあつたとのことであり、当時の価額が五〇〇、〇〇〇円程度にすぎなかつたとは必ずしも解されず、また、本件貸付金につき、被告人が昭和二九年内に免除の意思表示をした事実もないこと、昭和三四年ごろに、被告人も申立人の一人となつて、本件不動産の競売が行われ、右競売代金により、本件一〇〇、〇〇〇円の債権につき配当支払が行われていること等の事実に徴すると、昭和二九年末において、右一〇〇、〇〇〇円が貸倒れとなつたとは到底解することができず、したがつて、被告人らの本件主張は採用しない。
(八) 岩崎正男について
被告人および弁護人は、岩崎正男に対し、昭和二九年八月一〇日元本一、三〇〇、〇〇〇円を貸付けたところ、同年八月末四〇〇、〇〇〇円の内入があつたが、同年一二月二〇日ごろ、右岩崎より、同人に多額の負債があるので他の債権者に優先して被告人に六〇〇、〇〇〇円を返済するから残元本は成功払いにしてくれとの申込があり、これを了承して六〇〇、〇〇〇円を受領したので、残元本三〇〇、〇〇〇円は同年末において貸倒れとなつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の一、九二丁)、岩崎正男の第一七回公判調書中の証言および同人の検察官に対する供述調書によれば、被告人ら主張のように、昭和二九年において、被告人より右岩崎に対し一、三〇〇、〇〇〇円の貸付があり、被告人ら主張のような入金のあつたことが認められるが、反面、前記の同じ証拠によると、右岩崎も被告人と同様の金融業者であつて、本件貸以付前には、岩崎の方が被告人に対し相当多額の貸付を行つていた関係にあつたこと、本件貸付金につき、昭和二九年八月以降同年一一月までの利息は順調に支払われており、同年一二月二〇日の六〇〇、〇〇〇円入金後も、同年一二月三一日に、一二月分の利子として一〇、〇〇〇円支払われていること、右岩崎は、被告人に対し、残元本三〇〇、〇〇〇円について、事業が立直るまでの支払猶予を求めたものであること、右岩崎は、昭和三〇年四月ごろになつて、当時の同人の事業を一応閉鎖し、改めて事業の立直りをはかつていること等の諸事情が認められ、以上の点を勘案すると、本件残元本三〇〇、〇〇〇円が昭和二九年末において貸倒れとなつたとは認め難く、結局、被告人らの主張は採用することができない。
(九) 水戸五人男について
被告人および弁護人は、水戸五人男に対し、昭和二八年一〇月一五日一〇〇、〇〇〇円を貸付けたが、同人が事業に失敗して昭和二九年五、六月ごろ所在不明となつたため、保証人の小川ために請求し、同じく保証人の水戸一男に対しても強制執行のうえ、右保証人らと交渉の結果、右両名より、年内に一二〇、〇〇〇円支払うから残元利金を免除してくれとの申出があり、これを拒否すれば入金見込がなかつたため、右申出を承諾し、昭和二九年内に一二〇、〇〇〇円を受領して、うち四五、〇〇〇円を利息に七五、〇〇〇円を元本に充当、残元本二五、〇〇〇円を免除したので、右二五、〇〇〇円は同年の貸倒金とみるべきであると主張し、検察官は、水戸五人男の関係では、昭和二九年一二月三一日まで元利金の支払がなされており、貸倒れとは認め難いと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、四六丁)および小川ための第二一回公判調書中の証言によれば、被告人ら主張のような事実をほぼ認めることができ、右事実からすれば、前記二五、〇〇〇円を、昭和二九年における貸倒金として計上するのが妥当である。もつとも、右貸付金台帳の記載によれば、検察官主張のように、同年一二月三一日に、元利金として六〇、〇〇〇円入金していることがうかがわれるが、右六〇、〇〇〇円は、前記小川ための証言に照らすと、同人の負担分として、前記のような残元利金の清算を条件にそのころ支払つたものであることが認められ(他の保証人水戸一男は同年八、九月に六〇、〇〇〇円を支払つている)、前記貸倒れの認定にとつて妨げとなるものではない。
(一〇) 岩佐一について
被告人および弁護人は、岩佐一に対し、昭和二七年七月九日一五、〇〇〇円を貸付けたが、同人が事業不振となり、回収の必要のため、昭和二八年春ごろ差押処分をしたが、一部利息が入金したにとどまり、右債務の保証人小沢善次郎に対しても昭和二九年差押をした結果、同人より、五、〇〇〇円を入金するから保証債務を免除してくれとの依頼を受け、他に回収の見込がなかつたので、右の趣旨を了承して同人から未収利息として五、〇〇〇円を受領し、結局、元本一五、〇〇〇円は昭和二九年末において貸倒れとなつたと主張し、検察官は、岩佐一の関係では、昭和二九年一二月二七日まで利息の支払がなされており、同年中の貸倒金とは認め難いと主張する。貸付金台帳(同号の一の一、一六丁)および岩佐一の第二二回公判調書中の証言によれば、被告人らの右主張にかかる事実がほぼ認められ(本件債務のもう一人の保証人である伊藤真一に対しても、昭和二九年内に執行手続がとられていることが認められる)、したがつて、前記一五、〇〇〇円の元本が昭和二九年末において貸倒れとなつたことも肯認できる。右貸付金台帳の記載によれば、検察官主張のように、昭和二九年一二月二七日に五、〇〇〇円の利息が入金された事実があるが、右金員は、保証人小沢善次郎から、そのころ前記のような趣旨で入金したものであると解され、右貸倒れの認定に影響するものではない。
(一一) 玉木幸重について
被告人および弁護人は、玉木幸重に対し、昭和二八年六月二四日一〇〇、〇〇〇円を貸付けたが、利息の支払が延滞し、昭和二九年五月ごろ同人の事業が行き詰つたため、保証人である遠藤延市および松浦富次郎と交渉の結果、両名より、元利金一二〇、〇〇〇円を折半して支払うから各人の保証債務を免除してほしい旨要請があり、これを承諾したところ、右松浦は約定どおり六〇、〇〇〇円を支払つたので、うち一〇、〇〇〇円を利息に五〇、〇〇〇円を元本に充当したが、右遠藤は、右保証が玉木の文書偽造によるもので責任はないと主張し、同人より支払を受けることができず、また、玉木自身も資産がないので、結局、右残元本五〇、〇〇〇円が昭和二九年の貸倒金となつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、三〇丁)および遠藤延市の第二四回公判調書中の証言によれば、被告人らの右主張のうち、貸付金額については誤りはなく、また、保証人遠藤延市および松浦富次郎に関する部分もこれを認めえないではないが、前記遠藤延市の証言および岡村末吉の検察官に対する供述調書によると、岡村末吉は、昭和二九年一一月ごろ、玉木幸重の事業を引継いで新会社を起したが、右玉木は、そのころから同会社に約四カ月間勤めたことがあり、その間、被告人の被傭人であつた黒田幾四郎からの催促で、右岡村末吉は黒田に対し、玉木の給料から差引いて玉木の被告人に対する延滞利息を二回支払つたことがあり、右支払の時期は、昭和二九年暮か昭和三〇年初めごろであつたことが認められ、右事実からすれば、昭和二九年末において、玉木よりの本件元本の回収が著しく困難であつたとはにわかに認定できない。なお、黒田幾四郎の第一九回公判調書中の証言中には、右黒田は、岡村末吉より利息を受けとつたことはあるが、それは岡村末吉自身に対する貸付金の利息を受けとつたものであると述べている部分があるが、右証言は、岡村末吉の前記検察官に対する供述調書(岡村は、玉木幸重の利息として支払つた分は岡村自身の利息支払分とは別個のものであると明言している)に照らし信用できない。以上のとおり、被告人らの本件主張は採用することができない。
(一二) 長尾良一について
被告人および弁護人は、長尾良一に対し、昭和二八年六月四日四五〇、〇〇〇円を貸付けたところ、同年八、九月ごろ、同人が所在不明となり、昭和二九年になつて、保証人山田元一、出口静に対し強制執行のうえ強く請求した結果、右両保証人および保証人田中某の三人から同年八月二三日までに右元本に三五〇、〇〇〇円の入金があつたが、その後、同年一〇月一六日ごろ、右出口静から利子内入分五、〇〇〇円の入金があつたのが最後で、そのころ同人より、これ以上請求を受けても支払できない旨の申込があり、事実回収の見込がなかつたので、右残元本一〇〇、〇〇〇円は同年末に貸倒れとなつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、二八丁)、第二二回公判調書中の出口静および第二八回公判調書中の山田元一の各証言を綜合して考察すれば、前記被告人ら主張のごとき事実をほぼ認めることができ、右事実からすれば、右一〇〇、〇〇〇円を貸倒金として計上するのが相当であると考える。検察官は、被告人と保証人出口静および山田元一らとの間の交渉により、最後の話合いがついたのは昭和三〇年七月二〇日ごろであり、したがつて、本件残元本は昭和二九年の貸倒金とはならないと主張し、山田元一の前記証言中には右主張に副う部分があるが、右山田は同じ証言中において、同人が被告人より差押執行を受けて、昭和二九年八月二八日ごろ被告人に五、〇〇〇円支払つてから後は、被告人に全く支払いをしていないと述べており、その他右証言を全体として考察してみると、右山田が最後の話合いがついたというのは、昭和三〇年七月二〇日ごろではなく昭和二九年七月二〇日ごろであつたと解され、結局、検察官の右主張は理由がなく採用できない。
(一三) 上原忠男について
被告人および弁護人は、上原忠男に対し、昭和二八年六月一三日二〇、〇〇〇円を貸付けたが、昭和二九年三月に前年一〇月分の利子を支払つたのを最後に、同人は所在不明となり、他に回収方法なきため、右二〇、〇〇〇円は貸倒れとなつたと主張し、貸付金台帳(同号の一の一、五四丁)および被告人の第三九回公判調書中の供述によれば、右主張にかかる事実がほぼ認められる。もつとも、検察官は、本件貸付金の担保として、被告人は右金額に見合うインターホンを受けとつており、これを無価値とみて貸倒れを主張するのは不当であるというが、前記公判調書中の被告人の供述に照らすと、インターホンを担保にとつていたことは事実であるが、右インターホンは価値のないものであることが認められ、検察官の右主張は採用できない。したがつて、本件二〇、〇〇〇円を貸倒金として認定する。
(一四) 坂本本左衛門について
被告人および弁護人は、坂本本左衛門に対し、昭和二九年九月二九日五〇、〇〇〇円を貸付けたところ、貸付時の天引利息の支払があつたのみで、右坂本は負債が多く支払能力なきため、同年末ごろ、保証人の野津隆および稲場孝一にも強制執行したが、野津は無資産、稲場は他より既に強制執行を受けていて、いずれも昭和二九年においては回収見込なく、右五〇、〇〇〇円は貸倒れとなつたと主張する。貸付金台帳(同号の一の二、六九丁)、公正証書(同号の一一)、坂本本左衛門の第二三回公判調書中の証言および同人の検察官に対する供述調書によると、被告人ら主張のような貸付金があり、右坂本に支払能力がなかつたことが認められるが、同じ証拠によると、保証人野津隆および同稲場孝一に対し現実に強制執行が行われたかは明らかではなく、かえつて、本件元金については、当時教員であつた野津隆が、昭和三〇年七月ごろから毎月三、〇〇〇円宛を七回にわたり被告人に対して支払い、稲場孝一が昭和三一年二月ごろ、不動産を処分して被告人に対し四五、〇〇〇円を支払つていることが認められ、右事実からすると、昭和二九年末において右保証人両名に支払能力がなかつたとは解しがたく、したがつて、本件貸付金が貸倒れとなつたとは認めえない。被告人らの本件主張は採用しない。
(一五) 日野国市について
被告人および弁護人は、日野国市に対し、昭和二七年一一月一八日二〇、〇〇〇円を貸付けたところ、昭和二八年夏ごろから利払いが悪くなり、昭和二九年五月強制執行をし、その後元本を一四、〇〇〇円に減縮したが、同年一二月二八日延滞利息として二、五〇〇円を支払うから残元本は成功払いとしてほしい旨強い要請があり、これに応ずることとしたので、残元本一四、〇〇〇円は同年末において貸倒金となつたと主張する。しかし、貸付金台帳(同号の一の二、二三丁)および日野国市の第二六回公判調書中の証言によると、右貸付金の関係で、昭和三〇年四月七日一、〇〇〇円、同年同月一二日四、〇〇〇円がそれぞれ費用として入金していること、昭和三一年四月ごろ、被告人の催促により、減縮した元本一二、〇〇〇円が支払われていることなどが認められ、右事実からすると、昭和二九年末において、右貸付金の回収が著しく困難な状況にあつたとは解されず、したがつて、被告人らの右主張は理由がなく採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示行為は、所得税法(昭和四〇年三月法律第三三号)附則第三五条により同法による改正前の所得税法(昭和二二年三月法律第二七号)第六九条第一項、罰金等臨時措置法第二条に該当するところ、所定刑中懲役刑と罰金刑を併科することとし、その刑期および罰金額の範囲内で、被告人を懲役六月および罰金八〇〇、〇〇〇円に各処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により、金五、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、なお、情状により、同法第二五条第一項を適用して、本裁判の確定した日から二年間、右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、全部被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤井章 裁判官 加藤光康 裁判官 林五平)
別表(一)
所得計算書(単位円)
第一、収入
<省略>
第二、支出
<省略>
別表(二)
逋脱税額の計算(単位円)
<省略>